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2008年5月 9日 (金)

山芍薬と幻覚

Dsc01850 山芍薬が咲いた。この花ほど人にもの思わせる花はないだろうな。物思う内容は年とともに変わり・・・。昔の思い出が混沌と湧き・・・。こんな文字を綴っている。

4章    山芍薬         S,62,5 H,14,3 

                            2・14

 山草の中でも山芍薬と言えば知らぬ人の少ない草花である。かれこれ15年にもなるかの昔、富士山麓の朝霧高原で山菜取りの最中初めて山芍薬と出会った。丁度山芍薬は20センチばかりの花茎のうえに直径4センチほどの白い蕾を上げていた。春の光が藪の中にも届いて、それは白い宝の玉のように輝いていた。あまりの美しさに驚いて藪蛇の騒ぎで仲間に知らせた事が今では懐かしく思い出される。

 それから山芍薬との付き合いが始まり、かなり小さな芽でも肥培するとその年の内に充分花が来ることや、根伏せで増える事もわかったりした。当時借家が夏涼しく山草の適地であったため山芍薬はよく咲いた。この花を眺めるにはその時期とても暇がいる。雑用に追わればたばたして気がついてみれば散っていた。と言うようなことが往々にしてある。蕾が膨らんできたら、陽の当たらぬ涼しい場所に鉢を移動をしてよく目の行き届くところで気を配り、いよいよ咲き始めたら鉢を揺らさず、風に当てず近くによって見る時は大げさに言えば息を殺してみるのである。そうまですると45日保つ。花も人の思いが通じるのかたった1度それは見事に咲いた山芍薬と向き合った事があった。その年の花は茎の高さや葉張りの具合、花びらの含み加減といい先端の切れ込みの妙にいたるまで、どれひとつとっても最高だった。日も暮れかかる一時、残照の中で花と向き合っていると花びらの中に銀粉を練りこんでいるかと思うただならぬ光に、この世に此れほど美しい白があるだろうかと。不思議な領域にさまよっていく。山芍薬が美しければ美しいほど見れば見るほど、ぶざまな自分の生き方を省みて沈黙する。人は皆命ながらえるためにともすればそれが間違いであると判っていても、自分の良心に目隠しをして自分に不都合なものを否定し続けて生きてゆく・・・・。毅然と輝いて生き、そして美しいまま散りたい。そういう現実離れした憧れ。だが死ねない。美しくも生きられない。癌になるのも嫌、交通事故も嫌、火事も嫌、水で溺れ死ぬのも嫌、苦しい事はみんな嫌。糖尿病も嫌だなぁ~遭難も嫌だ。そうだな遭難と言えば何時も単独行ばかりだから遭難とは無縁で無い・・・・。一人山の中をさまよいどこでどう間違ったのか相談する相手もなく、戻れども戻れども元の道に出ない。行くも帰るもままならぬ状態に陥って夜になる・・・・。疲労困憊し、骨に凍みる寒さ、いくらかの窪みを探し、しゃがみこんで膝を抱える。うとうととまどろみ「おいっ!」と言う声に飛び起きる。暗闇に目を凝らしあたりをみまわすが人の気配は無い「そこだっ!」と又声がする。誰かが来た、助けに来てくれたのだ。胸が鳴る「ここだよーっ」と声を振り絞る。が誰もいない。「おーいっ」又聞こえる。間違いない、きっと助っ人だ、と這い出す。あそこあたりのおぼろげな物影がそうかと這いずり回る。しかしそれは大きな岩だった。耳を澄ませば風なのだ、風が木の枝を揺すっている。それが人の声に聞こえる。果てしない絶望感。遠くで獣の鳴声がする。異次元の恐怖が背をなでる。風が唸り始めた。まるで身に覚えの無い罪を罵る地獄の死霊のように果てしもなく唸る・・・。

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 身を縮め耳をふさぎ信仰した覚えも無い神を念じる。風の呪い声から少しでも逃れようと無意識に膝で土を掘る。じとっと湿った今までに無い感触。まるで沼地かと思うような湿気。引き込まれそうな恐怖に思わず反転。あ!どこかにかなぐり捨てたかと思ったリュックが手に触れた。たった一つの財産。思わず抱きしめる。そうだまだチーズが残っているのだ(チーズだチーズ)そう思ってリュックをまさぐれば・・・。あ!懐中電灯だ!何で気づかなかったんだろう!と思って一瞬、もう電池が終わっている事に気づく。終っている電灯をとりだし夢遊病のようにスイッチを押してみる。ほわっとかすかな明かりがつき、その明かりが腰が抜けるほどにも明るい。暗闇に向けると霧が立ち込めてまるで見た事も無い景色。何100年も此処にいるような思いがする。電灯は息をするように力なく薄くなってゆく、あわてて消して又すぐ付けてみる。まるで暗闇から無数の妖怪が輪になって私を見ている気がする。思わず後ろを振り返る。自分の在り処をおしえてしまった・・・。明かりなど点けるんじゃなかった。目が目が無数の目が見ている・・・。あー目じゃない目じゃないチーズだチーズだ!頭を振り心を奮い立たせ、なおもリュックをさぐればカチャンと小銭入れの音がする。あーこんな時お金があったって何の役にも立たない。生きて帰れないか知れない。生きて帰れば、ラーメンが食べられる。幾ら残っていたっけ?5千円・・・。あー5千円と言えばあのぼろな長靴に5千円ヘソクッテ置いたのに、此処で死んだらあの金は長靴と一緒にすてられてしまうんだなー・・・。ラーメンが何杯も食べられるのに・・・。

 あー嫌だ嫌だなんて馬鹿らしい妄想に延々と遊んでいるんだろう。

 万感を抱く愚か人の前で憧れと羨望を煽りながら、短い命の花が咲く。行きつ戻りつして、山芍薬の前に佇み、佇みすればやがて、花が放つ白光の気と共に起き上がる。すでに言葉も悶絶もなく例えひと時であろうとも、心整う。

 正に花は法なり色は力なり。

              

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