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2009年9月

2009年9月21日 (月)

平丸から姫次へ 東海自然歩道避難路

  国道413線を上ってくると 平丸地区に掛かる平丸橋と

その向こうにトンネルが見える。

其れを目安に 左手に指導標がある。そこを山手にゆくと

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水道の関連機材がある。御神体かと思う大木が切られている。

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まもなく林が続き緩やかな道が続く。左手の沢向こうに

小さな社がまっつってあった。

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ご神体はと覗いてみると・・・ 御出張。

すぐに指導標が現れる。

この指導標の右はじを見てみるとマジックで焼山と書いてある。

オモシロ!             な!             

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   美しい杉林。国道からすぐ、足に優しい杉の葉の

落ち葉の道が続くとは・・・贅沢な気分。緩やかなのぼりで

足に優しく、散歩に最適。

Dsc04382 Dsc04385

 

林の中をじぐざくに進んで横山沢の頭につくようだ。

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適当なところで引き返す。途中、花のない一人静かかな

群生していた。然し登山道といわず林の中といわずいたるところに

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テープが

散乱していて実に見苦しいこれは何だろう。

Dsc04393  

途中落とした、手ぬぐいが自己主張。

Dsc04398

国道筋には花の終わった玉アジサイがうつむいた装飾花に

守られるように、青い種を結んでいる。

花の少ない日本の夏。それでも国道沿いに

サルビアなんかを植えないでくれてどんなにありがたいか知れない。

此処は、日本の山郷だからな。

 

2009年9月17日 (木)

山野草の行方

早い秋です。

岩沙参の咲くのもはやっかったし、二季咲き的に咲く、

深山霧島つつじの咲くのも10月が9月に咲いている。

マユミもはじけた。

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早く咲いたつつじ

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それなりにきれいです。

ところで今年の羽蝶蘭はどういう夏をすごしていますか?

皆さんのところはいかがですか。写真を撮りそびれてしまったので

次回悩みたいと思っています。

この異常気象到来というべき世紀に地を守る草木は

どうなっていくかと思案に落ちますね。

高速道路は土日が1000円。みんなが殺到して渋滞して

いらぬ排気ガスを吹き上げる。エコ時代というのに

クレッションだらけ、ただという話しに成って行きそうだが

ただといわずにうんと安くして通年にしたら?

ただになれば、料金所も係員も要らぬというが

料金所を撤去するには亦いらぬ エネルギーを使う

それで生活している就労人材の確保もある。

やってみてまずかったかなというところはみんな素直な気になって

軌道修正すればいいのにな・・・・?ちがったか??

2009年9月14日 (月)

遺跡の美女

念願の三内丸山遺跡にお目にかかってきた。

あいにくの土砂降りに遭った。30分も早くついたら案内をボランティア

している男性が特別に待合室に入れてくれた。

外から中を見る人を見て自分は動物園の動物になった気分。

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親切なボランティアの男性が生徒に真剣に説明する。頭下がる。

其れがどんなにすばらしいものか生徒の顔を見れば分かるでしょう。

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その後、展示室で受付の丁寧な案内解説を受ける。

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ほらー!凄いもんでしょう。4500年前の作品とは思えない。

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ほらー。

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それにどう?この愛らしくも美しい受付の姫。宮沢賢治記念館で

失敗したので。写真撮らせてもらっていいですか?と聞いて

ブログに乗せていいですか?と聞いてパチリ!

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「遺跡から発見される土偶はどれも口が開いているんです。

専門家は食物を要求している姿という説と・・・」と語る。

そこでむらむらと言葉が飛び出してきた。

「ねー、これって位牌代わりと思いません?

家族愛ってどこにもあるから亡くなった家族の最後の姿を

邪魔にならないちいさな形にして住処の中の一角において

祀ったんだと思いません?亡くなった人は今でも、

みな口を開いているんですよね。それに脱脂綿をつめて

死後硬直が来るまでの間、布で口を閉じて固めるんですよね。

昔そういうことをしたでしょうかね。もししなかったとしたら

其れはそのままの姿でしょうね」

「まー、顎を布で上げるんですかー、勉強になりますー」

と、この賢くも麗しい姫は専門の偉い先生の言うことしか

言ってはいけない決まりの中で、

我輩のような馬鹿な来場者にあわせてくれるのである。

そこでハタト疑問にぶつかる。「土偶の体の1部は必ず欠けていて

其れは違う場所から見つかる」のだという。

其れは、足を折って苦しんだ、肩を脱臼して苦しんだ、

そういう家族の姿を見ていて、共に苦しんだ家族は今のような

医療の発達のないころと思えば、苦しさのあまりこの足が

なければとか、切り取ってしまいたいとか言う言葉を

散々聞いたはずで、土偶を作り、その部分をとって所定の

場所に捨てたかあるいは、

神にこの部分を奉じて、再びの命の健康な再生を祈願したか・・・・。

偉い先生も馬鹿な百姓も4500年前を見てきたわけではないから

こうかなーああかなーと思うことは自由。

ところで姫、今日アクセス地域を検索したら青森があったのよ。

ごめんなさーーーいあなたのことを乗せるのが遅くなって。

気にしてくれたのね。あのボランティアの男性にもよろしく

お伝えくださいね。

私は植物とはちょっぴり会話が出来ますが土偶は初めてです。

先祖供養の法事で行ったのでそういうパワーが騒いだのかしら

・・・聞き流してね。

今度は土砂降りでないときにお目にかかりたいものです。

ありがとうございました。皆さんによろしく。

あーー東北は良い。何よりも美しい人が多い。

私もご親切のご恩返しにちょっぴと三内丸山遺跡を宣伝します。

2009年9月13日 (日)

ウズノシュゲ

宮沢賢治童話村、賢治の学校ではこのような額が展示

されている。

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園芸屋としては、このウズノシュゲに目を留めないわけには

行かない。

何のことかと言われても私にはわかったような亦分からない

ようなきがします。という一節をみて

「わかったようなというところを聞かせてもらいたい」

と思ってしまう。

5日ばかり考えていると、こちとら泥百姓の見解とすれば、

{渦巻きの朱色の毛}でしょう。縮めて「うずのしゅげ」でしょう。

賢治は植物動物鉱物と広く興味を持って、翁草の花を

身をかがめて下から覗き上げたでしょうが、一般の百姓が

今日の食事にも事欠く日々、忙しく未明から暮れ時まで働く

道すがらしゃがみこんで翁草を覗く者が多いとは

とても思えない。言ってみれば花茎の短い翁草が下を向いて

咲くのである。実物を見てもらえば分かるが、微毛に覆われて

その花の色を隠している。身をかがめなくとも目に付くのは

花の後に発生する種子である。その大きさ花の3倍にもなり

夕暮れの疲れた百姓の目にも留まりやすい。それは

高山植物のチングルマを巨大にしたように美しい。種子が

充分に実ってくるとその毛は逆立って色を失ってくるが、初めの

うちは、実に美しいほんのりと赤い色付きがある。逆毛に

なる前は毛に艶がある。

翁草のことを確か5月に乗せていると思った。

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あー悪い悪い、4月29日でした。このブログでは

下を向いている花もうまい具合に写っていますがどう見ても

種のほうが目立ちます。

写真は、もっと実が入り、灰色掛かった白になってゆく。

実が入ると、風に飛ぶ準備に向けて、逆毛を立ててゆき、

触ってもぐさりと抜け落ちる。

まず百姓のイーハトーブ的見解に間違いないと思うよ。

簡単明瞭単純そのままでしょう。

賢治の記念館では{ガガイモ}と言う植物の実を、つまり鞘

を置いていた。「職員が今朝採ってきた」というつる性の植物で

この地ではゴマザイ亦はゴマンジャイと言っているそうである。

このゴマザイは童話の「鹿踊り」「蛙のゴム靴」に乗っている

そうだ。因幡の白兎ではないがゴマザイの毛でこすってもらって

助かったと言う話はいかにもそうだと思わせるふわふわと

やわらかく変化してゆく美しいものである。

記念館内は撮影禁止であるが。このガガイモは

スタンプ台の上に載っていた。ちょうどオクラの実の角を

なくして丸くして長くしたようなものだった。ちょうど実に

亀裂が入り、中から真っ白い絹糸の束のような毛が

はじけて覗いていた。先端についている種は平べったく丸く

この種をもらえますかと言うと どうぞと言うのでもらってきた。

こんな。

Dsc04321

絹糸はすっかり綿毛になっていた。

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賢治の記念館には花がある。ペットボトルと蔓を使って並べてある。

えらい!!。

斜陽館には1輪の花もなかった。然し人がすごかった。

賢治の記念館の受け付けにも安達由美を超えるかと思う

美女がいて、東北人特有の色の白さは針で突いたほどのシミもなく

我輩の馬鹿な質問に真剣に答えるその大きな瞳とにらめっこ

していると、どきどきした。あまりの美しさに

亦見たくて、質問に行ったら、もういなかった。写真も撮らず、

ざんねーーーん。

2009年9月 7日 (月)

庭の千草も

昼は人様が活動する時間。

店が閉まってから出かけても用は成さない。

写真を撮ろうという気になる時間がない。人なみに

食事もしていれば、短くなった日がかげる。

これでまたしばらくご無沙汰の事情が生じた。

岩沙参が咲き始めて、1週間はたつ。

初花の一輪は感動的だった。

懐中電灯を持って外に出ると、虫の音がわんさか。

あらー・・・イワヒバにピントが合っているわ。

99_012

どれもう一回!・・・・。OK!

 

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ついでに二重咲きの白桔梗をパチリ。

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で、2季咲きといおうか、3季咲きと言おうか春に咲き

夏に咲き、冬に咲く。蝦夷紫つつじ。姫蝦夷紫でないから

鉢植えから落第して、我が家の庭に落ち着いた。色はもっと

ポーズピンク。

99_017

これは何だ?と思う花。夜になって、萎れかかった

ヤブカンゾウです。不思議な映像です。なー。

又ひとしきり、秋の山野草が目の保養となる季節が到来した。

目くじら立ててというようにオルトランを撒きまくり、スミチオンを

掛け散らかして虫の駆除に努めたら、今年は花芽をチョっキリと

やられずに咲き始めた。

どう見ても、こおろぎが家の中に入ってきてまで

りんりん鳴いている。

子供が庭の千草もぉ~て・・・・歌にあるけれど千草って

どんな草?だって!むぅぅしぃのぉ~ねぇ~もぉ~・・・・

て歌にありますわな。言われてみればありますわ。 

 

 

2009年9月 4日 (金)

横山旧道

橋津原のバス停留場からすぐ山手に向かい、二股で

左に行く。何軒かの民家を過ぎて、水道施設の建造物が

が右手に見える。

Dsc04186 Dsc04155

やがて鬱蒼とした杉林になる。林の向こうに石垣が

横に伸びているのが見える。道はたちまち細まり、

草がかっぶって来る。

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さらに行くと右手山より彫り落ちている沢と出くわす。

増水時に押し出されたものか倒木が想像を掻き立てる様相で

倒れている。一滴の水の気配なく沢は枯れている。

道は左に大きく山の腹を巻くように曲がっているのが見える。

上から見るとこの横倒しの2本の木の向こうに

草のない部分が見えるがこれが旧道である。

この地点に立って山を見ると東南の一角が赤松の幹で

真っ赤に染まっている。昔植林したものという。

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倒木をくぐり、乗り上げ、沢から少し行ってみたが倒木が

交差して道をふさぎ、かなりの装備でなければちょっと無理。

写真では二本の倒木も小さく写っているが、

かなりの大木が倒れて道をふさいでいる。

Dsc04160 Dsc04166

ただ戻るのももったいないので帰り際、丸太の梯子を

 登ってみると延々と東南に向かって上水道の水路が

伸びている。水は完全に枯れ、杉の葉が堆積して

埋まっているところもある。

宮が施ダムが出来たときの補償で作ったものという。

Dsc04170 Dsc04171

長々続いた水路は堰堤まで伸びてそのその左に細い梯子状の

板が掛かっている。

見にくいのでクリックしてリンクを開いてみてください。

上はこういう有様。

右山手からから繋ぎ目のさびたパイプが突出している。Dsc04176

堆積した倒木を巻いてかろうじて踏み跡が見える。黍殻山に

抜ける道かというが、これはさて??

この地点から杉木立の合間を見上げれば、

横に広がる山が見える。高い山ではない。

あの山は横山から伸びるクラボネで(どういう意味?)

昔あの尾根を通ってさらに奥の部落へいったものだという。

今度さらなる探訪の余地あり。クラボネの尾根に取り付く

であろう事は間違いない。

Dsc04175

クラボネね~どんな字を書くんだろう。

Dsc04172

今も残る、この細い道。

用事があれば雨の日も冬には当然雪の日も、つい最近の昔?

(へんな言い方)其れを知る人が今も高齢とはいえ生きて語る。

何百年前でもでもない頃、人々はこの山道を通っていた。

古きをたずねあたらしきを知る温故知新というが

この何十年かの変動が、不気味にさえ感じ、

今の便利さにたたずんでしばし絶句する。

人は最終的に何がほしいのだろう。きりがないよなー。

Dsc04158

今日はかろうじて花二つ

此花は何百年昔から来る夏、くる冬を見てきたのだろう。

水引も生えている。

赤い実をつけているマムシ草かテンナンショウか?茎に

マムシのまだら斑紋がないからテンナンショウだな。

   Dsc04169 

虫がないている。ひたすらに虫が鳴いている。

疲れないのかと思うほどいつまでも鳴く。

その虫の音を聞いていると、ふとたずねたい。

やむを得ず鳴いているのです。気がついたら鳴いていました。

なぜなのか自分にも分かりません。

と問えば、応えるような気がする。

人もまた同じ、なぜ生まれ何故歩みそして死に、さらに生まれ

繰り返し続けるのか?行く果てに何があるのか・・・。

止むに止まれず、訳もなくただ訳もなく。

知る由もなく、ただ虫のように花のように・・・。

この星のある限り・・・だろうか。

2009年9月 1日 (火)

神の川公園橋

神の川林道を日陰沢まで行くと神の川に合流する

日陰沢橋を渡る。ここいらに来ると、左手に大きく風巻の

頭が、張り出した尾根を伴って見える。その右手に遠く袖平山

が横たわり、姫次がチラッと見える。 山の間を低いまだらな

雲が洗っている。

そしてその右手に蛭が岳に続く稜線が確認される。

Dsc04207

今日はその山に取り付く橋を渡ろうということだ。

その橋までに矢駄沢橋を渡り、右手に桧洞丸に登る

取り付きをみる。

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昔はここに細い丸太の梯子が掛かっていて

哀れなものだった。

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今も立派とはいえないが、危なくないだけまし。

右にあるべき指導標が左のガードレールの外にある。

しばしながめる。

やがて左に大きな標識がそそり立っていて

Dsc04142

橋への取り付きの急な階段を下りる。

ばっちりひざにくる。

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渡って振り返ってみると急な階段とこの橋の立派なこと。

鉄筋コンクリート。

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はじめてみた、この橋の名前は神の川公園橋

初めて聞いた名前。何十回となくとおりすぎていて、今はじめて

渡ってみた。

この風巻だけは登ったことがない。

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風巻への橋を渡るとたちまち道は崩れ、楽しそうな道が続く。

この綱を握ってゆくのだ。ドキドキ・・・たのしそう・・・。

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それでも梯子橋の釘は打ち直されていて、

釘の頭はさびていなかった。ご苦労様。

ゲートまでの道路ポチりポチリと行けば夏の夕日がおぼろ・・・。

山風がソソソソーーと騒ぎ、何かを急がさん。これが山ーー!

国道の散歩なんかしていられませんーーー!。

こちら仕事がらみでおお威張り。

登山者かの問い合わせに答えられる。ラッキーでござりまする。

エビラ沢

神の川林道を行くと左手に見える美しい沢

この沢の脇から水が染み出て安定度が高く

いつの間にやら名所になっていた。

まぁ、探訪等ほどのご苦労はない。

数年前にはここで車を洗っている非常識極まりない男を目撃した。

其れは他の人も見知ったらしく、いやだなーと思っていたら

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たちまちゲートが出来、立派な 東屋が出来た。

こういう拒否の仕方もある。

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ふ~~~ん緑の玉をねぇ~~~そういえばシャグジとは社宮司と

言う文字を当てていたんではなかったっけ?親方様の話によれば、山仕事の際に、安全の祈祷をしていたという。地名には必ず謂れがある。訛って訳が分からなくなった地名を解明してゆく楽しみは、そこに関心を持つ、そこに愛しさを持つ、里人の脈々と続く命の証をさかのぼること。そしてふと感じられる。仕事に疲れ果て、山の道際で腰を下ろして、一休み。にっこりとほほ笑んでいるような、今は影も形も見えないはずの、昔の人が、私を見ているような錯覚。まさに老いた父母、遠い先祖のようで、全身にかすかな笑みが充満する。

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地名はおもしろい。木も川も形を変え、消えても地名だけは残る

寒気するほど面白い。

変に合併して、地名を消さないでもらいたいなぁーーー。

この左が水場である。

ほら、こんな具合。行く度に工夫されている。

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あれ!地震か?いえ!ただの手振れ!

神の川沿いの水は硬い。夏場は水の傷みが心配なので

ここは比較的安心。

この奥に染み出る水が何箇所かあるが最後の

ある場所の水は硬すぎて、なんと表現すればいいか・・・

鉛のよう???。

川向こうのある人が、「うまくねぇ~石みて~だ」といったには

大爆笑だった。

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滝の左にある山道、今は閉鎖。

昔ご先祖様が、この上で炭焼きをしていたという。

この道は袖平山にも行く山道で、今の林道が整備される前は

音久和やヒンゲ(由来、文字の当て方は不明)

からこの地を結ぶ街道だった。シャグジに来るにはこの

山の上を通って、ここに降りた。シャグジには大きな滝というより

深い淵、切り立っていて落差がひどく、へつることが出来なく、

(大瀬戸の堰堤)を築いて埋め立てたということだ。

このころの記憶はいくらかあるなー。

音久和からヒンゲや後ろ沢を結ぶ主要道路ということだった。

神の川は昔、シャグジから船を出して岩魚、山女を取るほどの

大きい川で其れは彦江門の沢まで続いた。

長者舎には分校まであり、一時は栄えたところだという。

当方知る限りでも長者舎には人家が残っていた。

渓谷美も抜群で、水量も多く恐ろしいほどだった。

水を治めるものは国を治めるというがこの水量の激減は

まことに治めたというのだろうか。クレッション。

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