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2010年1月

2010年1月30日 (土)

七沢に行って見ると

時間の都合で、やにわに七沢の自然環境保全センターに方向変換。

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いつも、ここいらあたりから間違いないよな、と安心する。何としても

通らない道で、清川からずっと????で山の九十九折には参る。

然し、奥野さんの写真展も見たいし、せっかく来たのだから、植樹祭

の関係の話や、鹿の捕獲の話、登山道の話と、お伺いしたいことは

山程。とりあえず、二階に上がって、写真展を見ると、やっぱり骨董

品的。うわー!!と言う写真あり。

奥野さんに、此処のところいくら電話を掛けても出ない。冬季に掛け

て、療養中か?。写真の中には、丹沢資料保存会の田中茂氏が

送ってくれた、大きなカレンダーがさらに大きく印刷されて展示され

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ていた。みんな、それぞれの立場で一生懸命に丹沢の健在を祈って

動いている。31日で終わり。

公園課と野生生物課と二名の方の話を伺って、展示会を最後まで見

ることが出来なかった。行くなら今日明日まで。

洞の天気

昨日今日、雲が低く、ぱらっと来ましたね。

この雲が今日のように低く、山にかかって夜を過ごせば

間違いなく霧氷でしょう。

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明日の幸運を信じて。

2010年1月27日 (水)

現在の山の雪

此処のところの暖かさで山の雪は消えました。S5nnh4y4h415

10センチから、ゼロへ。然しアイゼンは必要でしょう。

   2010012316010002

雪はもぐって凍ります。滑ります。

登山者へご報告以上です。

〇村様。問い合わせのおかげで、登山情報をお伝えすることが

出来ました。金曜日は雨とか。さて山はいかに?

2010年1月25日 (月)

神の川今昔②

これほど栄えた神の川流域が何故今のようになったか、その一番の

原因は関東大震災だったと言う。魚釣りを教わった、さ〇り〇のトシ

さんが、震災でがけ崩れに会い、かろうじて木の枝につかまって一

命を取り止め其れを期に青根に降りて暮らしたと言う。牧野で開拓を

募ったのだと言う。

震災はすごい物で、神の川の上の方の堰堤を工夫時代に掘って堰

堤を突くときに、

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12メートル掘っても地盤が出てこないで、ふた抱えも

あるカヤと、もみじの大木が出てきた、と言うから本当にすごい物だ

ったろう。

それほどの土石流が流れ下ったと言うことだ。もう20年以上も前にな

くなったが、坂〇のおばあさんから畑に雨戸をはずして敷いて、その

上に子供を乗せたぐらい、そこいらにひびが入って足が沈んでいっ

た。と語ってくれた。山ではさぞ地獄の有様だったろうと思う。

この話の翁も長生きだったが、亡くなって、10年もたとうか・・・?その

上の〇〇の古老が語るには、

「神の川でわさびを作った時期があったが、あまりに盗難が激しく、

試行錯誤の末、中野の警察に行って此処には爆弾を仕掛けてあ

ると言う看板を出す、実際には仕掛けないが、そういう看板を立て

るということを承知してもらいたい、あれはうそだと言わないでもら

いたい、これが悪いならば私をお縄にしてくれと、警察と談判し反

対を押して、立て看板を立てたら、ぴたっと盗難が止まった」

こんな話は、おもしろ吃驚ながら、いかに里山の生活の場だったか

がしのばれる。この話は本人から、直接聞いた話である。

又、太〇さんと言う人から聞いた話では、上青根の山を指して、

「うちの爺さんは働き者で雪が降った朝は人より早く起きてあの山の

雪はきをして神の川に仕事に出かけたものだ」

これには吃驚して、その当事は神の川林道を通っていたのでなんで

そんな馬鹿なことをするのかと不思議だった。話を聞くと、上青根か

ら、ヒンゲに登り、その山腹を横切って、神の川、エビラへと山仕事

に行ったと言うことである。今の何倍も苦労して、昔の人は生きてい

たのだと言う実感が湧く。

いつも、車でパット通り過ぎる神の川がこういう歴史を積み上げてい

たのだ。そして今、写真撮りつつ、のろのろ歩いて、新たな確認。

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長者舎山荘撤去。最後の写真は去年3月、犬越路調査のときだったな。

綺麗さっぱり何もない。

今まで以上に気になる下の写真のボンベ。折花のところ。

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????ながいよなー。この状態。

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未回収ですかねーーーー。

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???ごみですよねー。

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たたみは腐っても、あの箱はプラスチックだろうな・・・。

糸と、畳のヘリは化繊で残るだろうなーー。

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日陰沢まで行ってトイレの写真を撮って帰った。ヒュッテの駐車場

から車が一台。

奇しくも運転手は杉本氏のように見えた。!!???。

時計を見たら3時30分。

田舎人の四方山話、耄碌掛かっている人の話はあまりまともに

聞かないでくださいよ。確認必要です。

と言うわけで、神の川今昔探訪編は終わり。

2010年1月23日 (土)

神の川今昔

北丹沢山岳センターから北丹沢に関しての昔の成り立ちと言うの

ものを収集に協力というお願いがあった。

そこで、去年の神の川周辺の写真を探してみたところ、デジカメが

壊れれた後で、ぼやけた写真は全て削除されている。

仕方ないので、1月22日昼過ぎに出かけてみる。寒い。

然し、今時期でないと、木の葉が茂って神の川の流れが見えない。

よく小屋主がいう小瀬戸の堰堤を撮るには今でないと駄目だろう。

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キャンプ場の釣堀が終わってすぐ上が小瀬戸の堰堤だ。

副堰堤を2個従えてここだけはいつも、ゴーゴーと音を立てている。

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この木の枝を見ると、葉が茂っているときは駄目と言う意味が

分かるでしょう。

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ついでにエビラで水を汲み写真をパチパチ。 Img_0430

ここにはこれだけのことしか書いていないが昔この下流の

ところに神社があり、宮司が居た。地名はそこから来ているんだ

なーと思った。

今、この金・物・科学の時代でさえ、最後は神頼みであることを思

えば、昔はごもっともの神仏だ。明治以前は信仰の山であったと

言う丹沢だからさもありなん。

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美くしい淵ですねーーー。

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さてご先祖様は、この沢の淵を右に行ったのか、それとも左か・・・。

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袖平に登るこの道、今は通行止め。

この上で、炭焼きをして生計を立てていて、伐った木にはねられて

なくなったという・・・。すでに70年か。昔は川沿いの道は無く、尾根

を歩いて、社宮司におりて、小瀬戸から船を出す、と言う入山方

法だそうだ。上青根からヒンゲというところに出て、(シャグジ)ここ

いらではシャグウジと丁寧に言わない。ヒンゲという地名も不思議で

仕方ない。何が語源か、どういう風に訛ったか。

て、シャグジまでは馬も入った。つまり、林道がなかった。

昔は小瀬戸は深い淵で、このしたの社宮司から船を出し、広河原

まで、魚を捕りに行ったという。ごく最近の話では、スリという魚の

繁殖期には水面が盛り上がり、凄い物だったと言う話を聞いた。

それほどの昔ではなかったようだ。それでも40年前後だろうか。

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折花神社が現れ、

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まもなく、山の神の社が現れる。正月でお祭りをしてあった。

昔は、9月16日に山仕事の衆が集まり、酒を酌み交わして山の

神の祭りをしたのだという。

今の山の神のこのあたりは山の神戸といって昔は此処にも人家

があった。神の川は、栄えていて昔、犬越路は玄倉との交流の

生活道路、林業の道路であり登山道と言う観光道路とはかけ離

れていた。道志では白石峠を超えて玄倉との交流が蜜で、いまで

も、嫁ぎ先の叔母との行き来をしていると、期せずして当日、道志

で聞いた。(今は当然車である)以下次号へ。

2010年1月20日 (水)

環境問題

酷寒の日々、早めの探訪出発となる。通ったことのない小道を抜

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けて、川原に出る。 いうなれば、旧道だ。

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遠くに雪を抱いた、丹沢の尾根裾が見える。絶景かな・・・!

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今時期、川音も寒い渓流は、あくまでも澄み渡りこれもまた地域の

価値ある資源だなと思う。

遠くに車が一台停まって、夜行飛行の光のように赤い火が点滅して

いる。???何だろうと見ていると、犬かなと思う小さいものが動く

カメラを望遠にしてみると、小さい子供だ。大人が二人・・・。

川原にごみでも燃しに来たのかと、思うことはいなかっぺ。

川原を一回りしていたら、焚き火のあとを見つける。!?!?!

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車はいつの間にか居なくなって、あの火の原因を確かめに行くと

なんと!まだ煙が立ち上りつつ、真っ赤に燃える火が見える。

右の大きい石の傍だ。

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隣にはこれ

がっくりして、せっかくの良い景色も無頼の徒を集める素材かと

気がめいりまくる。此処がどこだか言わないのは、これ以上無頼の

やからが今の時期増えないで貰いたいから。塵燃しかと思う馬鹿

な我輩よりも彼らのほうが、よっぽど目ざとくて、身勝手な利用を

している。言うまでもない。残された塵を見ながらひたすら自分は

昔どうだったかと思い返す・・・・・・。

人の事を非難できる生きかたかと・・・・。そして振り返ってみるが・・・。

第一、思い出そうにも、こういうことが出来る余裕の人生でなかった。

時代なんだろうな。

どうしたらいいのか、あれやこれやと考える。どんなにもっともな事を

言っても、この水があなたの口に入るのですよと言っても、きっと鼻で

あしらわれるだけだろう。

やがて、地球規模のリセットがいやおう無くやってくるのだろうか。

アトピーで苦しむ子、花粉症で苦しむ人、アレルギーに泣く人、そん

なレベルの今は、まだ甘い苦しみか知れない。もっと大変なときが

来るような気がする。昔、水と空気はただ、湯水のように無駄に使っ

ていると言う言葉が合った。そのとき、何がただなものか、今に金を

取られるだろうと思い、空気も金で買う時代が来るだろうと思った。

今は水だけ金で買っている。空気は富士山で売っている程度。

嘆いていたって始まらない。自分の領分で行動しかない。

今日の探訪はえらい暇掛かった。

もう真っ暗。

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2010年1月18日 (月)

山の景色

良い気分だった。

というもっともな眺めだけれど、もっとはたらいで居れば

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こんなドラマチックな景色に合えたのに。

2009110316470000

きれいだったよーーーーー。

どこまで引っ張るつもりかーーーーーー。

2010年1月17日 (日)

洞の雪

里の積雪の割には山頂の雪は少なかった。

登山者もなし。あまりの寒さか・・・。

動きが制約されず良い冬景色が撮れた模様。

かなりの風が吹いたので、吹き溜まりは深そう。

雪が、15センチぐらい降ってくれていると、禿山になったところの

土が風で飛ぶこの頃としては、この雪はありがたい。又寒さで、

小屋が持ち上がって、ねじれ現象が起きる。きっちりしたところは

戸が開かなくなる。立派でない小屋の元がいい加減のようで居て、

理にかなっていたと言うことだろう。継ぎはぎしつつ、約半世紀、

過酷な山上で立っている。ありえない話。

貧乏小屋、一割小屋、宴会小屋、便所小屋・・・。

様々な嘲り、羨望!?!?嘲笑いただきつつ、50年を絶えた。

(早速、お目付け様からクレームが入った。絶えたは→

耐えたかと?ーーー爆笑。!!!何でこうもおかしいのかねー。

なんとなく事実のような気もしたり。笑う人へのサービスに成った

かと。思えたり・・・・・・・・・然し予期せづしてWordはタノシ!)

継続は力なり。奇跡的。この先はなんと言う代名詞をいただけ

るか、楽しみでござんす。爆笑。2度の爆笑ですね。

ところで、小屋の前の掃除用水のドラム缶、破裂しますよ!

水を捨てて、ひっくり返しておいてと言うのに言うこと聞かないから

春に成って、水が溶けてからラーララッ!

2010年1月13日 (水)

冬景色

5時30分バス停で登山者が待っていた。

「山の雪はどうでしたかー」と聞くと

「袖平に行ってきましたが、15センチぐらいです」という

と言うことは洞は30センチは堅いな。

いてつく寒さ、山は霧氷の花盛り。小屋番の撮影者からメールが来た。

夕日に染まる霧氷の花。夕焼けに朝焼け、これは朝陽!!

だったーーー!傑作ですねー。あるいは幸運ですねーーこの映像。

小屋はこんなかな??

まさか!

006 

2010年1月12日 (火)

丹沢北麓の雪

今年、何回かのチラット雪が降りました。昼前から降っています。

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ボタン雪的で路面は地熱で消えてゆきます。

遠くの山は霞むほど、ひとしきりばっちり降りましたね。

その後、霙になり、ただいまの時刻午後5時まだ降り続いています。

と言うことは山はかなりの雪と言うことです。

今週末の山は厳重注意。アイゼン必ず持つこと。1300メーター

以上は、雪も深く成っているでしょう。

新雪に心洗われる領域に微笑むか、はたまたじたばたするか

山に向かうときには、原始の生き物に立ち返って、全身触覚を

生やし、あらゆる状況を感知し、行動しましょう。

以上 麓からの情報でした。

ただいま9時、予報どおりに雨はやみ星もない漆黒の闇。

2010年1月 1日 (金)

新年のリサイクル

 去年が終わり、新しい年が始まった。だからといって、別に変わっ

たことが起きるわけではない。其れなのに松を飾ったり、餅を供

えたり、いそがしい日々がことさら忙しくなる。

面倒だと思い、何とかカッコウつけようかとNさんがくれた花飾りに

Img_0302

松をジクジク刺して真ん中に賀正と書いて玄関にはっ付けた。年の

初めにお古を使うとは 縁起でもないと年寄りに怒られそうだが、

もうどうでもいい気分になった。じゃあ何でそんな物を飾るのかと

いわれそうだが、元旦に配達に来る配達員にご挨拶をしてやらな

いと可哀想かなと思うことと、このi家のジーバーちゃんは死んじゃ

ったのかい?と心配させるのもこれまた年の初めから可哀想だ。

正直年賀状も書きたくない。今年は、欲張って本当に大変だった。

然しこれも、出さない人から、元気?などと日本の端っこのほうか

ら電話が掛かってくる。年寄りになると、年賀状の意味も違ってくる。

毎日毎日なんでこんなに忙しいのかと思う。昨日は何をしたのか

思い出そうとしてもパット出てこない。そうだ、昨日はHP記事の北西

丹沢の概略図を作るのに1日掛かったのだ。図形を使い塗りつぶし

効果を使ってかなり念密に作ったのだ。で今日はようやく庭の掃除。

雑草という名前でない、しぶとい雑草をむしり、クマガエソウとシラネ

葵に落ち葉と土を盛って冬の寒さに備え、落ち葉を掛ける前にそっと

土を除けてみたら、大きい花目がごろごろ!万歳!!上の段のアカ

ヤシオ花芽がびっしり!万歳!。日陰ツツジも花芽がかなりある。

ニンマリ。そうなのだ。リサイクルの正月飾りよりも、皆が楽しみにし

ている山野草の庭のようすのほうがよっぽどアクセスが上がるのだ。

花の書き込みを怠っていたら、長野からすっかり見限られてしまっ

た。モーシワケナイ。というわけで明日あたり、ころころした花芽でも

写して、久振りに花談義でもしようか。草木にかかわっていると本当

に楽しい。命そのものに触れている気がする。天気がよければやに

わに山に行く支度だったが、今日は雪までちらついた。風も強く、

さぞ山は荒れているだろうと思った。風がうなっていた。こんなとき

地獄のそこから呪っているような死に神の声を、一人の山小屋でじ

っとこの唸り声を聞いていると、なにか昔悪いことでもしていたっけ

かと、頭をかきむしる。命の瀬戸際のぎりぎりで、ひどく消耗する

のも又得がたい手応えなのだ!?。そうだやっぱり山に行こう。とこ

ろでこのブログ記事は花き温室か、それとも山小屋か、どっちが?

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