« 神の川今昔 | トップページ | 現在の山の雪 »

2010年1月25日 (月)

神の川今昔②

これほど栄えた神の川流域が何故今のようになったか、その一番の

原因は関東大震災だったと言う。魚釣りを教わった、さ〇り〇のトシ

さんが、震災でがけ崩れに会い、かろうじて木の枝につかまって一

命を取り止め其れを期に青根に降りて暮らしたと言う。牧野で開拓を

募ったのだと言う。

震災はすごい物で、神の川の上の方の堰堤を工夫時代に掘って堰

堤を突くときに、

Img_0499

12メートル掘っても地盤が出てこないで、ふた抱えも

あるカヤと、もみじの大木が出てきた、と言うから本当にすごい物だ

ったろう。

それほどの土石流が流れ下ったと言うことだ。もう20年以上も前にな

くなったが、坂〇のおばあさんから畑に雨戸をはずして敷いて、その

上に子供を乗せたぐらい、そこいらにひびが入って足が沈んでいっ

た。と語ってくれた。山ではさぞ地獄の有様だったろうと思う。

この話の翁も長生きだったが、亡くなって、10年もたとうか・・・?その

上の〇〇の古老が語るには、

「神の川でわさびを作った時期があったが、あまりに盗難が激しく、

試行錯誤の末、中野の警察に行って此処には爆弾を仕掛けてあ

ると言う看板を出す、実際には仕掛けないが、そういう看板を立て

るということを承知してもらいたい、あれはうそだと言わないでもら

いたい、これが悪いならば私をお縄にしてくれと、警察と談判し反

対を押して、立て看板を立てたら、ぴたっと盗難が止まった」

こんな話は、おもしろ吃驚ながら、いかに里山の生活の場だったか

がしのばれる。この話は本人から、直接聞いた話である。

又、太〇さんと言う人から聞いた話では、上青根の山を指して、

「うちの爺さんは働き者で雪が降った朝は人より早く起きてあの山の

雪はきをして神の川に仕事に出かけたものだ」

これには吃驚して、その当事は神の川林道を通っていたのでなんで

そんな馬鹿なことをするのかと不思議だった。話を聞くと、上青根か

ら、ヒンゲに登り、その山腹を横切って、神の川、エビラへと山仕事

に行ったと言うことである。今の何倍も苦労して、昔の人は生きてい

たのだと言う実感が湧く。

いつも、車でパット通り過ぎる神の川がこういう歴史を積み上げてい

たのだ。そして今、写真撮りつつ、のろのろ歩いて、新たな確認。

Img_0507

長者舎山荘撤去。最後の写真は去年3月、犬越路調査のときだったな。

綺麗さっぱり何もない。

今まで以上に気になる下の写真のボンベ。折花のところ。

Img_0462

????ながいよなー。この状態。

Img_0486

未回収ですかねーーーー。

Img_0485

???ごみですよねー。

Img_0478 

たたみは腐っても、あの箱はプラスチックだろうな・・・。

糸と、畳のヘリは化繊で残るだろうなーー。

Img_0505

日陰沢まで行ってトイレの写真を撮って帰った。ヒュッテの駐車場

から車が一台。

奇しくも運転手は杉本氏のように見えた。!!???。

時計を見たら3時30分。

田舎人の四方山話、耄碌掛かっている人の話はあまりまともに

聞かないでくださいよ。確認必要です。

と言うわけで、神の川今昔探訪編は終わり。

« 神の川今昔 | トップページ | 現在の山の雪 »

北丹沢山麓探訪」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 神の川今昔 | トップページ | 現在の山の雪 »

最近のトラックバック

カテゴリー

2020年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ