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2010年8月16日 (月)

若き縁者との死別

昔、自分の縁者に戦死者がいることを明確に覚えていなかった。

千鳥が渕に桜を見に行って、靖国神社をお参りしても、何の感慨も

湧かなかった。それがある機会があり、大分詳しく、事情を知った。

ちょっと語りきれない、長い話になるので、省略して、これも縁ある

人から2・3、話を聞いて、号泣した。そして何故こんなに泣けるのか

と不思議でならなかった。よくよく考えてみると、その戦死者の苦し

みは、ある部分、自分が味わった苦しみであり、泣けるのは、自分

と同じ苦しみを苦しんだ彼に泣けるのであり、つまるところ、自分の

苦しさに泣いているのだと思った。その位人間は身勝手な生き者

なのだと思った。経験した事でなければ、わからない。そう思いな

がら、戦争体験者の話を、別の意味でつらく虚しく聞く。

 彼の、個別の苦しみをまるっきり解らないわけでもなく、必死に

命の存在にすがった、最後のあの姿を思い出すと、あの若さで、

命の終わりを、刻々と感じる思いとはいかばかりのものだったか

と背筋をきられる思いがする。怪奇現象めくので、この話はこれ

で終わって、

Img_0194

 さて山の仲間の田中正志さんがなくなってどのくらい経つだろう。

山の写真を整理していて、おびただしい彼の写真が出てきた。こ

のひとの時も、身を折り曲げて泣けた。一番思い出の多い人か知

れない。最後に山から帰る彼の後ろ姿に、言葉を掛けたが振り返

らなかった。こんなことは無かった事なので、あれ?何だか変だな

、と思った。虫の知らせか、はがきを出した。これも珍しい事だっ

た。そのはがきを見た彼の御母が、当方に電話をよこした。

「今、寝ているんです。皆が、見舞いに来てくれるかもしれないか

ら、2階に寝ていては、世話を焼かせるから、此処に寝ていると下

の部屋に寝ているんです。・・・・正直、もう駄目なんです」

と涙声になった。突然の事に絶句して言葉が出なかった。あっとい

う間だった。横須賀の仲間に知らせたが、もう、病院に運ばれ、面

会謝絶だった。温厚で、やさしい表情をしており、いつだったか

「兄は、僕とは全然違って、凄く優秀で、仕事も出来ないと思う事も

やってしまうんだ。いまさらながら尊敬している。ああいう兄を持っ

て誇らしいよ」と語った事が、深く心に残っていた。思いやりも有り

どのくらい山を好み、小屋の手伝いをしてくれたか知れなかった。

その彼が、身体に病気を囲っているように成っていたからか、ふと

彼らしからぬ事がちらちらと見えた。体がつらかったのだろうが、

本人も、大病を疑う 事はなかったのだろう。後悔は色々あるが、

どうして?で過ぎてしまった、言葉のたりなさ、思いやりの無さ、そん

なあんなが悔やまれる。一番つらいのは、見舞いに来てくれるか

もしれないからと待っていた彼を、見舞うことなく逝かせた事だ。

さぞ寂しかったろう。横たわって友を待つ彼の姿が目に浮かぶ。

Img_0193

 あの、山登りをしたこともない御母が、追悼登山で山腹の隅にう

まるようにして、顔を両手で覆って、泣いている姿か写っている。

ご両親も早や亡くなり、どのくらい経とうか。若い人の死は、身に応

える。今年あたり33年ではないのかな。遅くなったけれど、明かりImg_0188

を灯そう。いつまでも心和む明かりで照らしたい。貴方が、誇りに

思う人がいたように、我々も貴方たちの存在が誇りです。

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