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2013年3月

2013年3月21日 (木)

山野草の冬姿。

  この筋状のものは岩タバコの茎。咲いたまま放置して冬になって、先端の丸長い茶色のものは花の種。この茎を無理に引っ張ると、ポロンと取れる場合もあるが、岩タバコの葉の塊を引き抜くこともある。

枯れた花茎の付け根は、このようになっている。この緑の縮まった塊は、岩タバコの葉っぱである。冬中、岩の隙間や陰で、水をかけないで、放置しておくと、春にはじわじわと縮が伸びて、立派な葉っぱになる。水をかけたり、雨に当たるところに出すと、腐る。

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種をまくと、びっしり生えるが、花は、並花になってしまう。波花って何かとお言うと、そこいらじゅうの山にある、色の悪いただの岩タバコだ。濃い色とか、赤い色とかは、奇小品価値として猛然と増やされて、今は珍しくないほど、流出している。園芸品種かと言えば、園芸品種ってなによと言われれば???。

人口法灰を繰り返して、化け物のような花を作出したわけではない。人の顔色が白い人と黒いひとがあるように、ごくまれに緑の人がいたとしたら、珍しいのだ。そういう花が丹沢にあったということだ。それが、白花岩タバコであり、白花岩シャジンだったりする。はっきりいって、私が採取したのではなく、人の話によるものだから真偽のほどはわからない。然し、ウチョウランの仁王系は丹沢であることは確か。

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白というのは珍しいには違いないが、どうしたって、色素が抜けている分、日光に弱い。それに珍しいだけで、美しいのはやっぱり赤い花だったり桃色だったりだ。この写真は岩シャジンの花殻だ。種はきっと。どこかに飛び散ったろう。

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付け根をかき分けてみると、ほら!ジャバジャバと吹き出ているじゃあないかい!!これは普通の紫。白花は、葉っぱまで白っぽい。鋸歯のふちが色づかない。別にそんなことはどうだっていいのだ。問題は何かというと、元気に育てていかせることなのだ。世話ができたら、種をまいてみることだ。ジャンジャン増える。世話が良ければ、2年で花が咲く。

岩タバコは葉ざし、種は・・・つまらない。

草むしり

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これは13日の写真、今はだいぶくたびれてきた。茎が伸びて・・・。

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そして、実生が伸びてきた。

 

実生探しが楽しいのだ。

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ドドドどーするこの量。然しな-・・・・喜んでいるとエイザンスミレだったりするのだよ。獰猛なのエイザンスミレは・・・・・・だからずいぶん毟って捨てた。一か所で咲いてくれればいいのだけれど、猛然と、あちらこちらに飛ぶのだ。それで、巨人のように育って辟易する。

でもさ・・・・?ちょっと待って?見つけたぞ!

ほら、これって元葉だよ。下に古葉を入れて分り易くしたのだけれど・・・・・全然わかりにくいな。くたびれて、少し巻き込んでいるけれど、丸い双葉だよ。やっぱり・・・・それでえいざんすみれが増えてしまったのだ。エイザンスミレがだめで、ミスミ草がいいという思いはどこからきているのだろう?人間のわがままだな。下向いて咲く花は、いまいちなのだかもな。

な、かわいいだろ。こういう石の隙間とかが好きなんだよ。なんかさ、花の割には、肩みせまそうにするよね。で、なまじな世話をしない方が元気だし・・・まさに野生だよな。山野草の庭向きだな、やっぱり。草欠きでバリバリ草をかきむしってはいけないよ!

赤ヤシオ

今朝、アカヤシオが咲いていた。

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何とも美しい色。

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こんな風にしてアカンベーみたいに開いてゆくんだ・・・・。この花は、ほかのツツジよりも早く咲く。然し、花弁が柔らかく、つまり、水を含んでいるのだろう。霜の被害を受けやすい。だから早く咲いてもらいたくない。毎年、被害にあっている。ぺちゃんとベージュ色になって枯れてゆく。今年は寒くて、雪も、ちょくちょく降ったが、一気に春が来た。このところの高温は、フエーン現象的だ。突風も、よく吹く。この時期余り暖かいと、山里で4月下旬に咲く桜のつぼみの膨らんで、霜の被害を受ける。つぼみが固いうちは、水を跳ねているが、つまり寄せ付けないが、膨らんでくると苞の隙間から水が入り込んで、それが凍るから、つぼみの状態で中が腐って咲かない。こんなことが、10年に一度ぐらいの割合である。

それに引き替え、めっぽう強いのは、北海道の蝦夷紫ツツジだ。大概2月上旬に雪をかぶりつつ咲き、しおっとしても、立ち直る。それが今年は、3月に、曙ツツジと大差なく咲いた。1週間早かったかしれない。

満開になった。初めてこんなに遅かった。薄い花びらなのに、そういうDNAで生きているんだろう。鶯も、キョ、キョ、ホーチョと、苦しくなるように苦労して、まさかホーチキス、と鳴くのではないかと、ひやひやした??あーー喉が苦しかった。

 

2013年3月12日 (火)

春支度

植木も最初のうちは小さいのだが、だんだん大きくなる。選定も人を頼んでいたりしたが、やってみると、結構楽ちんにはかどる。特に下から
「その枝その枝!」と切り落としたい構図を伝える大変と言ったらない。それからすると、指揮官と工事官が同じだから早い!然しー去年からすると身が重いかなーーー??

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「やってみる?」

「うん」というわけで交代。

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「もっと上に登って、その枝を落としたら?」

「嫌だよ、こんなことで死んでいられないよ」

「ふーん死ぬかな」

「けがするのも嫌だよ、自分でやれば!やりたいんでしょう」

春になっても鶯は鳴かないで、変な声が木の上から聞こえる・・・。ガーーーミ・・・ガーーー・・・ミカラスでもないな。

2013年3月11日 (月)

昔の丹沢縦走

電車は伊勢原で降りた。○○に登った。○○というのを歩いた。○○の最後の茶屋で、まるで珍しい宇宙人でも見るように、血相を変えて2~3人の人が内から走り出てくる。泊まらずに上る私に、白髪の老婆がしきりに心配する。時間はとっくに昼を回っている。○○の頂上に立つと、夕暮れで、小さな●●●●●の○○というのか、○○というのか、が、さみしそうにしーんとしている。周りを見回してみるに、ご○○という濡れた木の葉とやらは皆目見当がつかなかった。景色は、ふぁーとため息が出るほど美しくて、ほんのりとした橙色を土台にして、その上に薄紫を一面に伸ばした霞がかかり、八王子の方面が見える。つまり神社に向かって右手前方から広々と開けている馬鹿と猿は高いところが好きって誰が言ったんだろう。モグラと悪党は土の中が好きなんだろうか・・・。馬鹿と猿の仲間にされて高いところに祭られる神様も気の毒と言えば気の毒。確かに馬鹿と言われれば馬鹿には違いない。内心少しも神様を信じていないのに、困ったときだけ思いだし、高々、5円か10円ぐらい、ひどい時には1円玉ぐらいで、とても神様以外の人間には聞かせられないような、恥っさらしな願望を唱えてゆくのだ。それも恥ずかしいとも思わずにだ。そんな人間の願いを気が向けば叶えようと、必死に働くのが神だとしたらこりゃあ馬鹿以外の何物でもないかもな。それで私は何をお願いしたのだろう?思い返せば、人がいるところで神社というところで、ずーっと長い間、手をたたいたり頭を下げたことがない。そういう自分の姿を思っただけで恥ずかしい。人に見られたらもっと恥ずかしい。神様がいないと思っていて、そういうことをする自分を想像しただけで恥ずかしい。なんで恥ずかしいのかわからない。この時も、もったいない、こんな高いところまで、材木を持ち上げて、なんという無駄な労力。なんて思ったのだ・・・。どのくらい経ったらこの材木が腐るんだろう、その時は、又、だれが挙げるんだろう。そんなことをかんがえた。誰もいないので、手を叩いてみようと思ったか、その時、冒険を試みた。叩いてみてなんの記憶も残らない。ただ、さみしそう…と思った。この社を宿に借りるつもりはさらさらなくて、○○へ下る。○○の小屋で暗くなるが、ここで休憩して、○○、○○に登る。○○の小屋で怪談を聞かされ、びくびくしながら行く。自殺者が林の中で転がっていて、キジウチノ登山者が見つけて触ったら、頭の皮がベロンとはがれた、とか、むこうからおばさんが来た、懐がやけに膨らんでいるんで、何を入れているのかと聞くと、これ?と懐から男の生首をボロンと出した。地元の女が亭主をなくし気がふれて、ある日、墓から亭主を掘り出してきた帰りだったというのである。幸い生首も転がりださず、髪をふり乱した女とも合わず

「金がなきゃあ貸してやる、7キロか」と、キスリングをもって手で測り、負けてやるという小屋番さんとも別れを告げ、くたびれているので、タラタラと歩いて、○○にたどり着き、ビバークする。金もなかったけれど、金がないばかりではない。なんというか、カミソリでわが身を削って、流れる血を眺めて、あぁ、私は生きているんだ。そんな実感を得るような、自虐的というばかりでなく、否定されてばかりの中で生きて、そういう幽閉されたような環境を破り出て、放たれた自分の命の価値をみてほっとする?・・・・。そんなだったな~。雪がべったり着いた○○の山腹でビバークした時は、いじましく、小屋からうんと離れると、万が一吹雪にでもなって、困ったときの小屋頼みができないから、小屋からはなれても、小屋の明かりが見える3~40メーターぐらいの斜面にちょっとピッケルでツエルトを張り、寝袋に入って目をつむるが、全然眠れるわけがない。うとうとはするのだが時計を見ると9時とか10時なのだ。ツエルト設置する場所が適当でなかったということか、11時まで、ガサッガサッと雪と霜柱を踏みしめて、人がやってくる。地面に耳をくっつけて寝ている身になってみれば、その音は、怪獣が攻めてくるようなすごい音に聞こえる。要するに小屋に泊まっている登山者が、寝る前に、立ションに来るのである。こっちは、困った困った・・・起きようか、あー小便ひっかけられたらどうしょう・・・とか考えて居ても立っても居られない気持ちだ。いい加減近くまで来ると、ハタと歩みが止まり右か左に足音が遠のき、またしばらくするとガサッガサッとやってきて、同じようにハタ!と止まり、戻って行く。何度も同じことを繰り返してみると、私が、心臓が止まるほどパニックっても、何もないはずの山の土手に不気味な物体を発見して、一瞬しっこもひっこむほどびっくりしているかもしれない怪獣でない、ただの人を連想したりする余裕も出てきて、あーよかった、ひっかけられないでと、変な幸せをかみしめながら、どのくらいの明かりかな?とツエルトの隙間から外の星明りをうかがったりした。そして空が白むか白まぬうちにソーセージをかじりながら、死体かと、確認に及ばれる身を隠すべく、出発する。神経が参っているから、食欲がない。ものを食べないから、なお消耗する。消耗するからなお物がのどを通らない・・・で、のたのたと歩き、途中○○と○○の鞍部でここはすべるぞと、思った通りすべり、小灌木に足を引っ掛けて逆さまになったが這い上がり、みんなが滑ったつるつるの痩せ尾根を越えて、昼過ぎ○○についた。雪は山肌にこびりついているのだが埃りのような霞がかかり、富士も小さく、全然面白くない眺めだった。こんな、面白くない山を見るために、こんなばかばかしい苦労をしているのが、実に面白くなかった。まだ早いのに、ここに泊まることに決める。動く気力がないのである。この小屋には今回初めて泊まった。小屋番は登山者が泊まる押入れの棚のようなところに、私のリックをもって案内して、ここは寒いから駄目だろう。と自問自答して、私のリックを持ったままとっとと管理室に降りてゆく。ここでいいです、ここでいいです。と言っても返事もしないで管理室に行く、仕方なくついてゆくと、大きな広い部屋で、吃驚するような炭火が囲炉裏に山のように盛り上がって真っ赤に燃えている。宿泊の形態はわからないが、食事をだしてくれ、よく話し、クリスマスにはこういう歌を歌うんだと、聞いたこともない歌を歌ってくれた。ふと考えてみると、そうだ今日は、1224日なのである。私は無口に、うじうじとデクノ棒のように、出された食事を食べ、後片づけもせず、こたつにした囲炉裏のそばに、敷いてもらった、布団に、私は2階でいいですが・・・といいつつねころび、こたつのあっちとこっちで、寝転んで、話が途切れるのを待っては、返事しなくてもよくなって、ほっとし、果たしてこれでいいのか、特別親切にしてもらった代償を払えるか、などと頭の中は、パチパチと、算盤ならぬ、神経の花火が飛び散って、とても寝られたもんではないのは当たり前。で、夜中に女性がやってくる。ありがたや、女は、

「ダメよ、その人が起きるよ」とか言っているのだが、私は朝までじっと寝たふりをしていた。やっぱり、○○には、神様がいたのも知れない。信じていなくてもお辞儀をしておくものだ。そして朝、特別な、請求書を突き付けられもせず、小屋を辞した。そして○○で、腑抜けに、ダウンした。雪山をビバークして縦走しようなどということは、大いにバカな話だった。いうなれば甘えがあるのだ。何度か来たことがある山小屋に、

「まことにすみませんが、お金がないのですが、一泊させてください」と頼んでみた。たいして金持ちでもなさそうな小屋番であったが、

「あ、いいよ」という、「おーよく来たな」とかいう。昨日ここに泊まって、楽々下山の予定だった。食料も金も尽きたというより碌に持っていないのだ。○○に払って底が見えていた。このおじさんは、年よりなのに、今風に言えばバツ一おじんで女とみれば、だれにでもやさしいのかもしれない割に、女も賢くてみな警戒するのか女っ気はない。小さなマッチ箱のような小屋である。ここの小屋番は管理室に案内もしないで、中二階でようやく普通に3日ぶりに寝た。

こんな昔のメモが出てきた。

こんなことを思って、ばちが当たったらしく、今は、山小屋で小屋番しつつゴミを拾っている。

誤解されても、悪いなーと思って、名前を消した。

大、大昔の思い出になってしまったな~。みーーーんな、死んじゃったナ。

2013年3月 4日 (月)

新しい道

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姫次に向かう道路は狭くて、住民はもちろん作業の人も登山者もぎくしゃくして通っていた。去年からずっと工事していたが、久しぶりに通ってみるとやや完成して、擦り付け道路も出来、日曜日には地元の車がバンバン走っていた。

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帰りながらヤケに気になるけばけばしい看板???よく見るとカッパからげて三度笠・・・東海道(道は要らなかったね)自然歩道を東海道53次に関連してしゃれたのだろう?????。作業員の人が造ったのだそうだ。カッコイイーーーー!!名所になるな!私には分らなかったから、もう時代から取り残されている・・・・・・・。

見上げる大室山は垂れてきた雪雲に撫でられている。完全に雪だろう。寒い。

2013年3月 3日 (日)

新発見

青根から413 号線を走ってゆくとImg_4959

大室山が平べったくなってくる。

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見慣れた熊笹の峰と、その向こうに檜洞丸がひときわ白く小さく見える。左に延びる稜線は金山谷に落ちてゆく線だが、こんなに降りたかと思うほど、延びている。どこまで行って止まるのよ!と思うほどだが、手前の山に邪魔されて、見えない・・・・。

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この、大渡(おおわた)住民はオワタと発音している。この地点で檜洞丸と大室山と風巻と、少々場所を変えると富士山が見える。然しこの地点を境に、国道は北に向かって走る。この景色に背中を向けることになる。大室山はことさら平べったくなり、おなじみの三角形が檜洞丸から見る横広の形に似てきて、眼前から消える。檜洞丸から遠ざからなければならない最大の理由は、神の川と道志川が合流し、その地点が落合で、鐘撞山から長く伸びた尾根にさえぎられるということになる。というよりも、道路が北に向かっているということが、最大の原因かもしれない。地形上そういうことなのだろう。

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ところが、山伏峠方面から帰ってくると、ある地点で車を止めて、バックした。写真では、わかりにくいが、またこれが夏でも、絶対というほど気が付かないと思うが、冬だから、遠い山は小さく見えて、しかも見難い。だから見落とす。山は冬見るに限る。遠い山でも小さくても、雪を被って色が違う。その色で、あの山がどのくらい高いかがわかる。この地点が、それだった。

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送電線が立っている部分をズームするとこうなる。熊笹の峰と檜洞丸だ。

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これが全体図だが、桧洞丸から金山に向かって伸びる左の尾根の終わるところに小突起が見える。はっきり言ってそこそこ高い山です。この山が、何山か・・・・。この山の左は手前の山に隠れて、見えない。まさか臼ヶ岳か・・・。

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家に帰って、地図を広げて、それはまさかの臼ヶ岳だと思う。蛭ヶ岳は風巻の陰で見えない。臼ヶ岳でしかないのだ。臼ヶ岳は蛭と桧洞の間を直線で結ぶと大きく南に寄っている。その分遠いから小さく見える。が、その山の雪の白さで、高い山であることがわかる。

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気になる止めの部分がようやくこうなっているのかと確認にいたり、大満足!?戻って写真を撮るに甲斐があった。神の川に橋がいくつあるか、写真を撮りながら数えたが、結局歩いて撮ったら、橋の入り口と出口の名前が違っていたり、車の便利さと、不便さを痛感したが、同志七里を歩かないで、ここまでメーーーッケ的気分になれたのは大儲け。

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