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2015年9月

2015年9月30日 (水)

青ケ岳山荘のソーラー発電部長

 一般的にソーラー発電と言えば、直流から更流に変換して、ようやく我々一般の者が、コンセントから取れる電気を使うという段取りだが、これを、直流で使えるようにすると経済的と、画期的な、工事をしてくれたのが、ヤマケイワールド・トップのルートで突如現れたプロ。
本職の電気屋さんでなければできない仕業。

一言で電気というが、これがなくて山で一番困るのが携帯の充電。照明も困ることは困るが、古代からの、兵器、石油ランプがある。これは原始的で強力な底力を持っている。。発電機というものもあるが、あの匂いと音で、ギブアップ。
黒パネルを買ったり、運搬に安心な専用の固形バッテリーも買って、金をかけて勉強をしたというところだが、山では問題が出ていた。

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2014年10月4日、一日中暗くなるまで作業をして食事が8時29分。その時の言葉が
「涙が出るほどおいしかった・・・!」それを聞いてこちらの方がジーンとしてしまった。どんなにお腹がすいていたかと思う。

その後、2回目は、初冬。泊り込の作業をして帰った。
「また来ます」といって。

この小屋には、必要な人がきっとやってくる。

諸天善神万物のお蔭と言うが、捨てる神あれば拾う神だ。去りゆく神に、きたる神だろうか!一念岩をも通すというから、テレパシーが通じるのだな。一心に光ともる。

アットマーク!@

上記の記事は、9月30日青ケ岳山荘の小屋ないご紹介の項目で、照明の説明の段でリンクを貼って、記載したものだが、それから約、1週間余り、日本人が2人今年度のノーベル物理学賞を受賞した。

私には、病気を治す、土壌の中の成分も、素粒子もわからない。宇宙に関する、カミオカンデとか、ニュートリノとか、文字の響きがかっこいいなーとは思う。質量があるといわれたって、どうやって量るのと思うばかりだ。

然し、自分の生活に密着して、忘れられないのが同じノーベル賞受賞の中村氏の青色発光ダイオードの発明だろう。
車で、道を走っていても、夕日に光る信号は、今が何色なのか、青なのか赤なのか黄色なのか、判別がつかず、周りを見て突入したり、車を止めて、信号の確認をする人を見たことがある。危険極まりない状態だった。一番難しいというこの青色を発明するというか、発見するというかは、全人類の道行く人を助けたのである。目さえ見えれば、どんなバカにもわかる、光。松明をかざして歩いた原始の時代から、必要不可欠の光。世の中は、だんだん進化して、いろいろ助かっている。山小屋の灯りもその恩恵に浴している。誰の記憶も曖昧でもこの人の偉業は生涯消えないだろう。日本人ってすごいと思う。えらいと思うし、頭脳が凄いと思う。然し中村氏は今は、認めてくれない日本に見切りをつけて、海外に出てしまった。激しい怒りを持って、訴訟まで起こしたことは、記憶に新しい。
この狭い国土で、何を掲げて世界に打って出るのか、自分の国の才能だろう。もしかしたら人間資源とでも言うのだろうか、その宝を認め、伸ばしてゆかずに、何がある ???自国の民を誇りに思う、それがない。身近を見ても、出るものの頭を打つことばかり考えているような節が多くみられる。ほかの国はどうだろう??

素晴らしい日本人頑張れ!!

2015年9月27日 (日)

昔の名所、気になる崩落。


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この写真は青ケ岳山荘のサイト、写真帳のページに記載しているもので、新しい写真は上段に足し増しされていくが、ホームページが作成された当時は、載せる写真が少なかった。大昔の写真は沢山あるが、スキャンするにも色あせており、どうにもならなかった。表示の写真は近年、絵葉書にされて比較的新しく、まだデジカメもパソコンもないときであったが、きれいな印刷状態で残っており、何よりも絶景であった。絵葉書は暑中見舞いで、平成3年(1991)の、かもめーると印刷されている。当然その年の夏に撮影したものではなく2年ぐらい前の撮影と思う。

当時の記憶をたどってみると、園芸の仕事が忙しく、今年は、ツツジがいいと、話には聞いていても決断がつかないでいた。それに、花も今まで見ていたので、特にとは思わなかったが出先の知り合いの話に、心が動いた。家に帰って19時、これから山に登るのかと・・・・そこでも迷いつつ支度をしてみるが、へトランプの電池が切れかかっている。ぐずぐずと迷いつつ、この日でなければ時間が取れなかった。登山口に立ったの21時半、夜通しかけて登り、0時半に到着した。

夜中の登山にヘットランプが切れそうで、ずっと点灯していることができずに、2~3秒灯りを灯しては消して、見当つけて暗闇の中を進み、障害物や路肩にに突き当たってはまたちょっと点けて進み、ということを繰り返して、ヤタオネを登った。その日は曇りであったが、稜線に出たら雲を通して、うっすらと月明かりがあり、稜線の崖の道を通る危険を考えて、ライトを節約したが、無意味な結果に終わった。朝、空が白むのを待って、小屋に置いてあったカメラを受け取り、5時ごろ小屋を出、撮った写真がこれだった。
当時、山頂周辺がミツバツツジの大木が群生しており、ツツジのトンネルを見上げつつ降りると崖に出た。つまり崩落地だった。その崖を、トラバースして登山道のこの地点に降り立った。写真の右手上が登山道になる。

それから数年後、この地点はごっそりと崩落した。その写真が、下に表示されている、この写真で、崩落してから20年ほど経っている。

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2011年5月10日の記録がある。芽吹く前の崩落地。
不思議なことに、人は、美しいし場所にカメラを向ける。誰も、動物でも、美しい場所、快適な場所に、向かう。悲惨な画面は、後に重大な記録になることがあっても、なかなかカメラを向けない。この写真以前に、崩落直後に、カメラを向けなかったのは、その後、長く山に行かなかったということもあるし、ここがあそこかと判然とわからないほど、めちゃくちゃになってもいたと思う。然し、あの美しく多くの感嘆の声を集めたこの場所が見る影もなく変わった崩落地を、よく写真に撮っておいたと、いまさらながら思う。

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2011年5月13日。崩落地点の遠景。芽吹き前。上の写真の3日後です。この地点は風衝地点で西からの風が、ビル風のように山間の低みを狙って吹き抜けます。岩をも溶かすといわれる酸性雨は草木を枯らし、オオバーユースと相まって、登山道は崩落の一途をたどり、崩れ始めた山は、とどまるところを知りません。この崩落地が絶景ポイントとなっているのです。

この眺めの地点に立った方は、大室方面に目を向けると、新しく出来た、崩落地点を見ることができます。

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愛鷹山から蛭ヶ岳の稜線から延びる袖平山まで、当然、風巻の頭も見えます。

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この雲海は、2012年の記録ですね。

雲海に浮かぶ富士山も、その雲海が大室山と桧洞丸の間から東に流れる豪快な動きも、この地点ならではのスケールです。

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昔は、夏の風物詩でした。然しこの頃は春と言わず、冬と言わず、年中雲海が出現していると思います。異常ですね。

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さて、話を本題に戻し、2011年、6月。近年まれなツツジの当たり年が続いた1年でした。、昔歩いたルートから発見した景色。林の中から不思議な咲方のツツジを見つけた。まるで丸い手毬のような花の塊。その美しさにシャッターを数回切った。

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林を抜けて崖に近づいてみると・・・。大崩落地。1990年頃、この地点はまだ緑が多く、ツツジの花が咲く場所だった。奇しくも同じ場所を歩いて同じ地点に立った。正直、崩落は進み、とても同じ地点をトラバースする気がしなかった。大幅に迂回した。

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上の部分のアップ。崩落した地点。花が再生したと簡単に思いたいが、この花たちは、災難を免れたツツジだろう。黒い剥けているところが、崩落したところと思われる。

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下の部分。岩に助かられたのですね。美しい景色です。

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登山道に降り立ってみると、こんな風景です。場所を少し変えてみるとまるっきり変わる。手毬のような咲方のツツジは、ミツバツツジとシロヤシオツツジが絡まってひとつの大木のように見えるだけで、数本のツツジの群生なのです。

一般的な視点。まだ整備されていなかった、登山道から見ると今咲いている、その場所は見えにくい。

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2012年1月の崩落地点が丸くえぐれてよくわかる写真。登山道が崩落の淵の尾根を通って熊笹の峰に向かう。そこの手前に立って、向かった地点が一番上の写真だった。
霧氷と、気流の流れで、くっきりと20年の歳月の後も崩落地点を表示しています。

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2012年2月の写真。上の写真よりはわかりにくいでしょうか?熊笹の峰と、大室山が写っています。この2枚の写真は、Mさんの写真です。彼は、一番上の写真の景色は見ていない人だと思います。何の意図もなく山に向かってシャッターを切ったのでしょう。
然し、この2枚の映像を見て、あまりにもリアルに崩落場所が写っていることに驚きました。すべては偶然ですが、自然の荒廃の一コマを語るうえでこの一連の写真は必然でした。

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2013年8月、上の写真の登山道が整備され、間もないころの写真。
今年は2015年。夏もすぎ、間もなくこの年も終わり、新たな年号を数えていくわけです。
然し、自然の猛威はとどまることはありません。我々人間が加担している猛威です。

一番上のツツジの名所が崩落して、その地点の場所が、頭から離れることがありませんでした。花の写真を見るたび、まるで往時の名優の存在を語っておく必要に迫られるように、心の隅から離れることがなく、いつか・・・いつか暇を見てと月日を重ねました。今ようやく一連の写真を探し、記録にとどめることができて、自分の役目として、一つ安心しました。
2015年のこの場所の写真が見つかりません。山に入り浸っていて、一枚の写真を撮れないということに、様々な感慨に浸ります。撮れないのか写真を探し出せないのか?

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ありました!まるっきり同じ地点からの撮影です。2015年8月6日です。この一連の写真を探し出すのに10日かかりました。最後の最後に、この風衝地点に立って、眺める絶景を挿入しようと富士山の朝焼けがあるはずと探していましたら、一緒にならんでいました 。2013年と比べて、草がじわじわと増えてゆくのがわかります。新たな決壊も出来ています。

人に何かを訴えようと思う時は、一つのことをまくし立てますが、関心を引くには感動や、感嘆も必要です。富士山の景色を探して、写真に教えられた気分です。

以下継続します。

 

2015年9月24日 (木)

ツツジの名所①

以前は、ブログに大きい写真が入らなかった。然し今は、1200サイズが入る設定に変わった。2度目のクリックで幅いっぱいになる。それができるのは、今のブログ。

どうしても残しておきたい画像。臨場感が違う。感謝ひとしきり。

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この写真はサイズが2800だった。当然パソコンの画面には入らない。縮小するのは当然だがあまり縮小しても臨場感ゼロ。拡大表示の写真を入れると、容量オーバーで、ホームページの存在が、アウト!

そこで有難いのが、ブログ!容量を軽くするためにもっぱらブログのお世話になっている。

どうしても、削りたくないのがトップページとブナハバチ、ボランティアのページ。そのページの写真が否応なく増えてゆく。どのようにやりくりするか?主催者にとっては大いなる課題。

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(右も左も手前も奥も、つつじが一面に咲いていた。カメラを覗くといつも 霧中ののシロヤシオは、霞んでいて、
どうせ撮れないだろうと、いい加減にシャッターを押した。影像に成ってみると、一応記録としては役に立っている。)
桧洞丸の山頂付近の景色です。

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こんな記事と共にトップページを飾った写真の中に分割表示していたが、あまりにも情けない写真で、ここに再編集しました。

このツツジの大木は2015年、南に向いた一枝が枯れました。やがて皆無的状態になるかもしれません。私は辛うじてこの桧洞丸のツツジの最後に向かう時に遭遇しました。今が凄ければ、50年100年前はもっと凄かっただろうと思うかもしれませんが、50年前のツツジは今のように咲きませんでした。樹木は今の10倍もあったと思いますが、咲くのは10年20年に一度ぐらいではなかったでしょうか。
なぜ、咲かなかったかと言えば、咲く必要がなかったからでしょう?当時、山はまだ、うっそうとしていて、ブナなどの大木の下木の存在のシロヤシオには太陽の光が届きませんでした。
洞穴の中を行くような緑のトンネルでした。熊笹も背丈より高く生い茂り、それをかき分けてゆく、登山道は30センチ位の幅で、笹を両肘でかき分けかき分けして進まないと、顔中傷だらけになるというありさまでした。今でいう、木道の稜線に出てようやくバイケイソウや、マルハダケブキの世界に到達できたのです。シロヤシオが咲いているのがわからないほど緑に覆われて、手前が塞がれているので、遠目にも見通しが利かなかったのです。シロヤシオが咲いていたと、なぜ気が付くかと言えば、うっそうとした、緑の中の登山道の傍らに色いシーツでも広げたように真っ白に散っている花を見て、ようやく上を眺めて散り残った花を確認するといった有様でした。それも全山のうちでい1~2か所です。それが、短時間のうちにこの変化です。何度も折に触れて語るように、花は疲れてくるとつぼみをつけます。寒波や日照、外的刺激です。生き物はみなそうだと思います。成熟し、老いてゆく過程で、身を結び、次代に子孫を残して消滅する道のりの一時期です。咲かないでいたということは、陽射しがないために成熟段階に急がないでも良い時期が与えられたということでしょう。
様々な老化を促す現象に、ブナは枯れ、灼熱の夏、シロヤシオは頻繁に花が咲き、根元をえぐられ、倒れてゆく、まさに最後の時を叫んでいる姿なのでしょう。見なければ、その驚愕の美しさも、悲惨さも無いに等しいのですが、突然、無差別に足元が抜け落ちるように、近づいてくる最後を語っている、現象だと糸をまさぐってみる気になれませんか??

人目を引くということは、大自然が、人に贈る鐘の打ち鳴らしなのです。それは警鐘なのか、はたまた別の意味なのか、異常気象が結果を徐々に語っているのではないでしょうか。

朝陽に輝く晩秋の霧氷

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11月の声を聴くと初雪が降る。ぱらっと4~5センチ!ガラッと変わる白の世界。一瞬の白!この変動が地球の片隅から、宇宙の存在を平手打ちされるように寒波と共に降りてくる。マイナス5℃、10℃そして15℃の世界。そして緊迫の時に、甘く降り注ぐ陽の光!過酷な世界もひと時であれば、ときめきの刺激!ひと月であれば地獄。
ここに生きる幸せと非幸せ・・・・・!

2015年9月11日 (金)

過激な8月、柱建て!

一年のうちで一番快適な8月。山の上は別世界の涼しさ。
それに、登山者も少ない。こんな時に掃除洗濯、布団ほし、ペンキ塗り。大工をやらずに何をやる!

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いの一番はこたつの修理。蜘蛛の巣のように洗濯物を干す針金をめぐらし・・・

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足置き場を作って完了。やれやれ!

さて次はペンキ塗り!

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ところがどっこい!一事が万事素人で、何もかも生まれて初めてやること。ペンキに鉄用を買ってきて、トタンも鉄のうちだからと思ったら、トタン用を買わないとダメだったのだ。
ペンキを塗るより大変なさび落とし。

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それでも次々はがれ・・つまり穴が開いてくる。水に油を落としたようにペンキが塗れていない丸い穴が開いてくる。

結局さび落としさび落とし・・・・3回塗ってようやくOK!

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ぺンキ塗りの余禄は屋根の上で展望抜群。夕方塗ったけど、暑かった。

で、次は虫よけ暖簾。大き目2枚。楽そうで大変な仕事は針仕事。おそらくこれは私にしかできないだろう。

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とりあえず、文字をくりぬいてパッチワーク??バランスはどうよ!??なんか岳がおかしいな!岳の山の部分の止めが上がりすぎ!??縦横の線は???一刀彫でないが一筆をくりぬくので難しいのじゃヨ!

これはーーー?っと、撮影期日は5月12日ジャン。5月なんて8月よりまだいくらか忙しいのに、こんな面倒くさい事よくやっていたな!??雨が降ったんだろうな。雨が降れば土方はできないし、洗濯はできないから、こんな事をやる。然し、この岳をしみじみ見るとムカつく。今に直そう!

2枚目がないな????そうか!写真撮らなかったんンだ。

で、次は第一の柱。
昔、立っていた場所に柱を戻す工作。

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此処です。天井のハリとかいうのかな~?

二階がキシキシするので補強します。大昔、親方、なんで外したのかな~~??

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床板をポンチ釘で打っていなかったので、たたき出して、柱の入るところをくりぬきます。

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半分出来上がり。

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と、いうわけ。

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のみを持ちながら、カメラを持つ、なんと器用な小屋番だろうか?

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遅々としてはかどらず。

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ジャッキで上げは、寅さんの手伝い。

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完成!!

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下もピチーン!どんなもんじゃぁ!!ちょっと省略しすぎかな!

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ではオマケ。なんだと思いますか??

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隙間に打ち込んで、結局合わないので、ビリビリ!

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飛び出たところは、下から鋸でキコキコ!何でもアリの大工さん!
もうひと手間かけて、様々につじつま合わせ。

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そうだ!柱の下にツカイシを入れたのだ。本来ならばこの金属は、柱に止めるものだが、床の下にどうにも入らない。で、鉄の子でキコキコ・・・・・何時間かかったか親子で。

いいなぁ~~~誰も文句は言わない!師匠がいないんだから、親方もお留守だから。わが世の春だ!否、夏だ!

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で、次は二階の床の補強。都会の道路はスパゲッティと、いうが青ケ岳山荘はハムレットだ。右か、下か、この釘は何処に行っているのか?なんで抜けないのだ。エッ!??先が
まげてある!

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釘だぞ!

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ほーーーら言わないこっちゃない!のみを1丁駄目にするところだった。

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半割を当ててみて・・・。

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四苦八苦して、他人には意味不明な映像だな。

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半割を削ります。これで半日。

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木屑の海!

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ハリというのかな天井の太い柱の横に差し込むのです。一応、ピッチーーーン!とはまる。厳密に言えば失敗!
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反対側はカーテンレールを外して差し込み・・・すべて予想外。失敗の連続。
オマケオマケ!怒る人もいない代わりに手間賃も出ない。ほめる人も何もない。わが世の夏だ、夏なんだ!!!

これが、よくよく計算して考えなかったために一番大変で、予想外だった。おまけに掃除しても掃除しても、どこからかオガクズが出てきて、掃除が大変だった。小屋の中、すべてオガクズ。

さて、最後の関門は腐った柱。長年の窓からの雨の吹き込み、雨垂れを放置した結果、不安は的中。ボロボロ!!小屋番に入った6年前からすごかった。

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差し込んだ木片を抜いてみると。際限もなくボロボロボロボロ。柱はびくとも動かないので、側面からコツコツ・・・。

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切り込みを入れてバカット剥がすと、ラララララッ!!悲惨!!

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下の部分は使えないのでちょん切ります。

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大幅解体。寅さんの怪力。

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横の柱を撤去してこの付け根から、新しい柱に替えます。

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四苦八苦ようやく外すとまるで、削った鰹節のようにボロボロ!

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名物出ました馬鹿釘。金具を取るのに汗だく。鉄のL字金具をエイヤッ!動かなーーーーい!

アララ?写真がありませんね??相当パニックになっていたのでしょう。

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つまり、この左に延びている角材をすっかり取り替えました。

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カバーのつなぎを取ってみると隣の本体まで腐食。しかし、新しい金属でつなぎ直し、今日はここまで。そこにワックスなどを塗って、ついでに壁まで塗って、いらぬ仕事を暗くなるまで・・・。疲労困憊なのに私はバカ!

「高城さん帰るまでできるでしょうかね・・・・?」と心配しつつ、寅さんの時間切れ。ゴミを背負って、霧の中を下山。
力仕事の金具取をしてもらえば、跡はこっちのもの。この柱、リサイクルがうまくいくか?何でも取っておいてよかった。ちょん切ったところをかさ上げするか??四苦八苦。どうも、降りるまで間に合わないかしれない・・・。アセアセ!だが仕方ない。やるしかない!

そこに現れましたる救世主。事の次第は青ケ岳山荘のサイトから転用。HPはやがて後の記事に押されて、削除されます。残しておくには、ブログです。

*************************************

 突然、見知らぬ青年がやってきて、50年前に父が此処のおじさんに大変お世話になったと言っていました。中学から山に来ていて、スキーを滑らせてもらったり、ただで泊めてもらったりして、お礼に歩荷もしたそうです。父は先週亡くなりました。

ワッ!ショックな話!でも、誰か来てくれないかな~出来れば大工さん。今日のお客はきっと大工かも知れない!それでなければ山を下りるまで、柱の修理は終わらない!もう、1週間も病院の予約を伸ばしているのだ!小屋番は心の中でイライラ・・・。

父はおじさんにあこがれて、大人になったら山小屋を作るのだと言って岡山に山小屋を建てました。

ゲッ凄いじゃん!でも、困ったな、早いお客さんなら、2時ごろ到着する。このオガクズと木屑の氾濫はどうするのだ!掃除をせねば・・・イライラ・・・。

おじさんは今どこにいるのですか?

青根にいるよ。イライラ・・・・。

元気ですか??

病気しているので元気という訳にはいかないけど、生きてるよ!・・・・????!!!!
ここで小屋番は漸く気が付いた。父の思い出を語ってちっとも帰らないこの青年に柱建ての手伝いをしてもらおう。彼は亡き父の心を背負って、山小屋に昔の恩返しに来たのかもしれない。と、勝手に考えた。

「あなた、柱建てを手伝って。ハイ此処削って!」

エッ!僕がですか?!・・・僕は実は木工をしているのです。

木工って何?家具屋さん!残念!大工なら良かったのに!でも仕方ない、負けといてやる!はい!早く削って!

そうですか・・・ハイ!

小屋番は漸く掃除にあり付いたのでした。目出度し!

*************************************

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大工さんではなかったが、大工裸足でした。恐るべし木工職人!

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調整に調整を重ね。

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何度も何度も・・調整を重ね・・・・!

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血のにじむ爪痕・・・?意味不明!
半分は小屋番。

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集中的調整の結果、奇跡的に完成をして、予定の 3 時には下山。1時間半頃小屋に来て、3時に出発だから、1時間半小屋にいたことになる。その間、珍しいことに誰も来ない山小屋に登山者2名。緊迫した状況に思わず柱の端を持って協力。彼が帰ってから、

「あの人は、息子さん?」

「へぇ~どういういきさつなの?」

「そりゃぁ感心だ、我々も好い思い出になった。好い青年だな~~!」

そうです!好い青年です!小屋はボロでも集まる人はピカピカ!
 50年前の少年が、わが子と共に桧洞丸にきました。息子しか見えないけれど・・・・。

50年前の親方様に会いに来て、こんな形で再現か?

この日の登山者、
「偶然か、必然か?・・・・必然だな!」

Img_1778

語れば、素晴らしいこの人たちも、載せておこう。含蓄深いその言葉、思いやりを込めた振る舞い。全部覚えている。感動しました。いつか、忘れぬうちに記録しておきたい・・・。

いつかきっといつの日か

この小屋で会おうね

あの星あの月あの花影に

忘れはしない君の面影

という歌もある。人は忘れられないうちは生きている。だから妻であり友であり子であり家族なのです。

ありがとう!又、いつの日か、きっといつの日かに続く・・・・。

































































































2015年9月 4日 (金)

桧洞丸の今日の天気・2015年9月から

9月30日快晴の空。富士が久々にくっきり、染まりくる紅葉を従えています。歩荷のトモさんの写メールです。



今年は台風の直撃を免れ、木の葉がふるい落とされていないので、好いかも知れませんね。

9月29日曇り。無風。

9月28日晴れ。久々に暑い日です。夕方山は霧に覆われました。

9月27日朝小雨。山は中腹までは、風がなく、合羽着ていると蒸し暑い。稜線からは見晴らしが効いた。歩荷の館さんのお話でした。山では今夜の満月は、叢雲が多かったです。

9月26日曇り。朝、雨残る。

ヤタオネはもうすぐ、落ち葉の海になります。Tさんの写メールです。登山差は流石に少ないです。渋い景色です。しばし立ち止まってしまします。

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9月25日小雨。風はない。

9月24日美しい日の出。雲があったのが反って美しい。

9月23日快晴。真っ赤なシロヤシオの紅葉発見。

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目も覚めるとはこのことです。長~く楽しめますね!寅吉ギャラリーから写メールを送ってくださいました。

9月22日快晴。連休中最高ですね。

9月21日雲多い晴れ。朝焼けがきれいです。


太陽が南の方から昇るようになりました。どんどん陽が短くなり、どんどん涼しくなりますね。

9月20日、晴れ。いかにも秋の空。涼しい!陽が昇るに従い雲が増えて、富士山は見えず。

9月19日晴れ。久しぶりの雲のほとんとない空です。

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澄んだ空気、静かな山道・・・いくらか木の葉も色付いて、秋の気配です。思いっきり、深呼吸をしよう!



台風の長雨にもめげず、ヤマシロキクもまだまだ頑張っています。

9月18日未明雷鳴あり。雨り雨は降らず。日中は薄日。

9月17日雨。

9月16日晴れたり曇ったり。

9月15日晴れたり曇ったり。 .

9月14日晴れ。たちまち雲が出てきた。

9月13日、薄日。夕日がきれい!

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9月12日の天気。薄い青空で爽やかです。

9月11日北麓は晴れ。山頂は雲がかかっている。ヤマシロキクは稜線は終わりそう。

@

9月10日曇り。

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青根は、大雨には見舞われませんでした。風もひどくはありませんでしたが、山は平地とは違い、風雨とも倍率かも知れません。丈夫なヤマシラキクもトリカブトももまれていることでしょう。

9月9日、夜半風を伴って小雨。後、風が止んで本降り。正午相模原のエリアメールで警戒警報。

昼過ぎに雨が止むその後、解除。青空がのぞき、めきめき範囲が広がって気温上昇。明日は快晴か??

9月8日、1日雨。大降りではない。

@

@

7日、曇り。晴れ間がのぞく。

6日晴れのち曇り

5日霧雨

9月4日晴れ。
3時頃東の空に凄い積乱雲が立った。
その後のニュースで、新宿で雷雨とか。
山シラギクはまだまだ盛り!

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